マルハナバチというハチをご存知でしょうか?体がもさもさした毛に覆われている、名前の通りの丸っこい姿をした
ハナバチの仲間です。牧畜のさかんなヨーロッパでは、牧草の花の受粉を担う「役に立つかわいいハチ」ということで
古くから非常に親しまれており、童話、童謡、絵本などに良く出てきます。このハチは日本でも15種類ほどが生息して
います。ミツバチに比べると日本における知名度は低いのですが、実はミツバチに負けず劣らず、日本の花々の受粉に
大きく貢献しています。陸上に生育する植物種の約7割が受粉を送粉動物に頼っていることと、送粉動物の中で最も個体
数が多いのがミツバチやマルハナバチなどの社会性のハナバチ(社会性のハナバチ=巣のメンバーが共同で育児をする
ハナバチ)であることを考えれば、彼女ら(社会性ハナバチの働き蜂はメス)の働きは、生態系の中で非常に重要な役
割を持っていると言えます。

ところがこのマルハナバチの世界に、最近異変が起きています。例えばヨーロッパでは、農薬の使用や養蜂ミツバチ
の影響で、マルハナバチの種類や数が大幅に減少しています。南アメリカ大陸でも、国外から持ち込まれたマルハナバ
チやミツバチ(アメリカ大陸にはもともとミツバチはいなかった)の影響で、もともとその地域にいたマルハナバチの
数が激減してしまったという事例が報告されています。日本では、特に北海道で、農作物の受粉用に国外から持ち込ま
れたセイヨウオオマルハナバチが野生化しています。このセイヨウオオマルハナバチは北海道在来のマルハナバチと餌
資源や営巣場所(ネズミの古巣など)を巡って競合している可能性が高く、セイヨウオオマルハナバチが侵入した地域
ではエゾオオマルハナバチやエゾトラマルハナバチの減少が報告されています。こうした異変は、その地域の生態系、
とりわけ植物の繁殖にどのような影響を与えるのでしょうか?
一般に植物は、花の形態に応じて有効な送粉者が異なると言われています。例えば、花筒の長い花は口吻(蜜を吸う
ための器官)が長い送粉動物(長舌種)に、花筒の短い花は口吻が短い送粉動物(短舌種)に受粉を依存している傾向
があります。言い換えれば、様々な種類の花がちゃんと受粉されるためには、様々な種類の送粉動物が必要です。農薬
の使用や、国外から侵入してきた送粉動物の定着に伴って、もともとその地域にいた送粉動物の種数や数が減ってしま
うということは、これまでその地域の送粉者に受粉を依存していた植物にとっては大事件です。侵入してきた送粉動物
が、これまでその地域にいた送粉動物の代わりを務めてくるとは限らないからです。
例えば短舌種であるセイヨウオオマルハナバチの侵入は、上述したように、北海道においては短舌種であるエゾオオ
マルハナバチの減少と共に、地域の代表的な長舌種であるエゾトラマルハナバチの減少を伴っていました。これはおそ
らくマルハナバチ達が餌資源(花)だけでなく、営巣場所(ネズミの古巣など)を巡っても競合したためと思われています。
ではこの場合、どのようなことが起きるでしょうか? 私の研究からは、正当な訪花者(エゾトラマルハナバチ)が来な
くなった花筒の長い花には多くの蜜が残るようになり、その結果、短舌種マルハナバチ達が報酬の少ない花筒の短い花
を見捨て、花筒の長い花から盗蜜(花の横に穴を開けて蜜を吸う行為で受粉にはあまり寄与しない)するようになるこ
とが示唆されています(下図参照)。つまりセイヨウオオマルハナバチの侵入が花筒の短い花の繁殖にも花筒の長い花
の繁殖にも負の影響を与えうることが示されたわけです。
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北海道でセイヨウオオマルハナバチの定着が確認された地域は、ほんの4,5年前までは主に農村部や市街地に限られて
いました。これは、セイヨウオオマルハナバチが好む環境が木々の少ない開けた環境であり、セイヨウオオマルハナバ
チの移動分散が森林によって妨げられていたためと思われます。しかし近年、オホーツク沿岸の海岸植生において、セ
イヨウオオマルハナバチの定着と増加傾向が報告されています。2008年には、大雪山や芦別岳の高山植生帯でもセイヨ
ウオオマルハナバチの働き蜂が少数ながら捕獲されたことから(環境省)、高山帯への定着が始まったのではないかと
心配されています(働き蜂は巣の近くでのみ採餌するため営巣の間接的な証拠となる)。美しいオホーツクの原生花園
や高山のお花畑の生態系が、人間が持ち込んだ生き物のせいで変わってしまうとすれば、それは非常に悲しいことです。
【参考文献】
Ishii HS, Kadoya T, Kikuchi R, Suda SI, Washitani I (2008) Habitat and flower resource partitioning by an
exotic and three native bumble bees in central Hokkaido, Japan. Biological Conservation 141 p.2597-2607
(生物圏環境科学科 石井 博)
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